9月5日記
猛暑が一段落と思ったら、ぐずついた天気が続き、暑さの疲れもどっとでてくる気候ですが、そろそろ教育関係の方々は秋学期の準備でお忙しいと存じます。
私は、原稿の執筆、会議、などなどで、夏休み返上の毎日を送っていました。
ところで、先日ある会議でお目にかかった朝日新聞社の方が、昔、朝日新聞に掲載した記事を読まれて、私の論調が現在と全く変わっていないという指摘をいただきました。どんなことを当時書いたのかと思い、古いファイルを探していたらその記事の原稿がでてきました。どこかに新聞記事のスクラップが保存してあるはずなのですが、段ボールの箱の中に埋もれてしまっているので、原稿ではありますが、以下に公開させていただきます。
この指摘が現在も通用するとすれば、もはや手遅れということです。どうか、感想があればお寄せください。
97年9月執筆
朝日新聞掲載原稿
未踏高齢社会への社会構造改革
立教大学教授(当時)
高橋紘士
二十一世紀初頭に日本は高齢化先進国のヨーロッパ諸国の高齢化率を追い抜き、文字どおりどこの国も経験したことのない「未踏高齢社会」の段階に到達する。
このような高齢化とそのメダルの裏をなす少子化は今後例を見ない速度で急激に進行し、後期高齢人口の急増が二一世紀に本格化する。ヨーロッパやアメリカで人口の高齢化は日本に比べればはるかに緩やかに進行してきた。
このような急激な高齢化と少子化の進行はこの変化を受けとめるべき社会制度や人々の意識とのギャップを産み出し、社会そのものが高齢化に適応できない不安定な状態になる可能性をはらんでいる。
高齢化と少子化そのものは、わが国が急速な経済成長に成功したその結果であるということを銘記すべきである。少子化という現象そのものは国民がそれぞれの生活のレベルで豊かさを獲得するためにとった合理的行動の帰結である。
丁度急激なダイエットをした人のスーツがだぶだぶになってしまうように、われわれの社会が形成してきた様々な社会制度やわれわれの行動様式が高齢化と少子化の現実の前に綻びと不整合をみせはじめてきている。
現実には改革のかけ声は喧しいが、高齢社会に対応した社会システムへと大胆に改革を進めるという基本的な視点がなおざりにされているように思われる。
本来、高齢化社会対応のために従来の財政構造を変革することが目的であるのに、社会保障そのものを縮小することを狙いとする社会保障構造改革にすり替えられようとしている。このことによりまた問題が先送りされ、また先送りすればするほど問題の解決が困難になるという悪循環に陥りつつあるようにも思える。
それでは、「未踏高齢社会」にそなえた社会構造改革はどのようなものでなければならないのだろうか。
第一、これからの高齢社会は依存状態にある人々をかつてないほどかかえる社会であるということをあらためて認識し、この点を社会構造改革の核心におくべきである。
すでに、有吉佐和子が今から四半世紀前に「恍惚の人」で活写したとおり高齢化の果てにあらわれる介護の問題は依存状態の極限的な形態である。ここで描かれたように、既存の医療サービスや福祉サービスはこのような状況にまったく無力であった。
これが、あらゆる人々の共通のリスクになりつつある。人生八〇年時代のライフコースでは、多くの高齢者が長期にわたる依存状態を経験することになる。厚生省の調査によれば高齢死亡者の寝たきり期間は平均八ヶ月、一割以上が三年以上の寝たきりを経験する。
とすれば、人生の終末期に長期的な依存状態を前提とした生活設計が必要となってきているのであり、そのような依存状態への対応を「自助」と「家族」に求めるのは社会の不公正感を拡大することになる。
老親の介護を回避したできた人と介護に直面せざるをえない人との間には越えがたい溝が生じるといえるのである。
したがって、あるゆる人々が依存状態の人々を共に担いあえる社会システムがないとしたらその社会は不公正な社会となり、社会そのものの存立を脅かすような問題になるであろう。
第二、重要なのはこのような依存状態への対応はカネではなく人々が提供する具体的なサービスが組織化されていなければならないという点である。
介護サービスをはじめとするさまざまなサービスの絶対的不足と低い品質は、この部門に長年にわたって社会的な投資をサボってきたつけなのである。またこれらの領域におけるソーシャルワーカーやケアワーカー、人間関係の専門職等の専門的人材の育成は医療と対比すると立ち後れている。
今後依存人口を支えるヒューマンサービスの部門への投資により多く割かれなければならない。それは、公費や保険などの公的な手段とともに市場機構を活用した手法も積極的に導入されなければならない。
企業によるこの領域のサービス産業はニーズ拡大の割には徹底的に立ち後れている。
また公的サービスは高成長期に福祉サービス部門の拡大を回避したために、先進諸国のなかでは福祉にもっともカネを使わない国となってきている。
ボランティアや非営利の民間サービスがこれらの立ち後れに対して参加型の福祉サービスとして拡大をしてきたが、社会的な評価と支援はNPO法案の未成立が象徴するように不十分という他はない。
第三、高齢社会を支えるヒューマンサービスは人々が生活しているコミュニティを基盤に住民の参加の理念によって組織化されなければならない。
情報化やボーダレス化が進行すればするほど、逆説的に人々の生活拠点として人々に安定を与えるものとしての、日々生活する日常生活圏としてのコミュニティへの市民の関わりの拡大していく。
そして、その意味で自治体改革があらためて浮上する。従来の公共事業型自治体から福祉自治体への再編であり、介護サービスの再組織化を軸として、新しい自治体の再編が必要となる。その際重要なのは、過疎地における自治体の統合再編と同時にコミュニティ政策が可能となるような大都市地域の分割による再編でなければならない。
今後の高齢化の焦点は過疎型高齢化対策と同時に大都市高齢化対策であるからである。