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10月31日記 11月12日ファイルのアップ情報を追加

あっという間に10月も最後になりました。前の投稿が9月だったので、しばらくぶりの便りです。せめて隔週でこの便りの掲載をと心がけておりましたが、かろうじて月刊の更新で、忸怩たるものがあり、お詫び申し上げます。

この間執筆した論文等のリストを下記に掲載します。原文は差し支えないものについて、後日掲載予定です。このリストは国立情報学研究所のCiNii Articles に掲載済みのものです。このほか、メディカ出版の『医療介護Next』誌に「老いの住まい」と題した、連載を掲載しました。末尾にこれまでの記事の題目を掲載しておきます。☆印はdropboxの共有ファイルにアップ済みのものです。適宜追加する予定です。

*都市問題 106(9), 83-88, 2015-09 「医療と介護 : 国民健康保険と介護保険」 (特集 どうなる国民健康保険制度)

*地方議会人 : 議員研修誌 46(3), 21-25, 2015-08 「東京圏高齢化危機と地域包括ケアシステム 」(特集 地域でささえる医療と介護の新しいかたち)

*シニアビジネスマーケット (131), 56-59, 2015-06 「インタビュー 公的資金を入れて整備を促進するサ高住を適切な方向に誘導する施策が求められる ( サ高住 : ありかた検討会「中間とりまとめ」を受けて)」

*市政 64(6), 10-12, 2015-06 「地域包括ケアシステムで自治体行政はどう変わるか」 (特集 高齢者の生活を支える「地域包括ケアシステム」)

*いい住まいいいシニアライフ : 財団ニュース 126, 1-5, 2015-05 「基調講演 大牟田は何故みらい都市か : 大牟田からみる医療介護と地域居住」 (特集みらい都市・大牟田から2025年モデルを発信する : 住宅と福祉の連携による地域包括ケアの推進を目指して(前編)平成26年度高齢者住宅担当者研修会(高齢者住まいシンポジウム)より)

☆*老年精神医学雑誌 26(5), 517-524, 2015-05 「認知症高齢者の地域居住の戦略 : 地域善隣事業の可能性」 (特集 認知症の人のための住まいと生活支援)

*The journal of JAHMC 26(2), 1-4, 2015-02 「Interview 社会保障は1970年代モデルから2025年日本モデルへ : 地域包括ケアは唯一のソリューション」

*医療介護Next誌連載 「老いの住まい」 ☆下記はNo1からNO5までワンファイルで公開しました。ダウンロードに時間がかかることご容赦ください。

☆2015年2月刊 第1回 「地域居住の幕開けに高齢者の住まいの政策とケアを考える」

☆2015年4月刊 第2回 「”住宅双六”から人生と住まいを考える」

☆2015年6月刊 第3回 「特養を分散して地域ケアを再発見〜小山剛氏の業績を偲ぶ」

☆2015年8月刊 第4回 「大都市高齢化対応への提言を誤らせた医療介護提供体制の杜撰な未来予測」

☆2015年10月刊 第5回 「わが国の少子高齢化はどのように進んだか〜増田レポート批判の前提として」

9月5日記

猛暑が一段落と思ったら、ぐずついた天気が続き、暑さの疲れもどっとでてくる気候ですが、そろそろ教育関係の方々は秋学期の準備でお忙しいと存じます。

私は、原稿の執筆、会議、などなどで、夏休み返上の毎日を送っていました。

ところで、先日ある会議でお目にかかった朝日新聞社の方が、昔、朝日新聞に掲載した記事を読まれて、私の論調が現在と全く変わっていないという指摘をいただきました。どんなことを当時書いたのかと思い、古いファイルを探していたらその記事の原稿がでてきました。どこかに新聞記事のスクラップが保存してあるはずなのですが、段ボールの箱の中に埋もれてしまっているので、原稿ではありますが、以下に公開させていただきます。

この指摘が現在も通用するとすれば、もはや手遅れということです。どうか、感想があればお寄せください。

97年9月執筆

朝日新聞掲載原稿

未踏高齢社会への社会構造改革

立教大学教授(当時)

高橋紘士

 

二十一世紀初頭に日本は高齢化先進国のヨーロッパ諸国の高齢化率を追い抜き、文字どおりどこの国も経験したことのない「未踏高齢社会」の段階に到達する。

このような高齢化とそのメダルの裏をなす少子化は今後例を見ない速度で急激に進行し、後期高齢人口の急増が二一世紀に本格化する。ヨーロッパやアメリカで人口の高齢化は日本に比べればはるかに緩やかに進行してきた。

このような急激な高齢化と少子化の進行はこの変化を受けとめるべき社会制度や人々の意識とのギャップを産み出し、社会そのものが高齢化に適応できない不安定な状態になる可能性をはらんでいる。

高齢化と少子化そのものは、わが国が急速な経済成長に成功したその結果であるということを銘記すべきである。少子化という現象そのものは国民がそれぞれの生活のレベルで豊かさを獲得するためにとった合理的行動の帰結である。

丁度急激なダイエットをした人のスーツがだぶだぶになってしまうように、われわれの社会が形成してきた様々な社会制度やわれわれの行動様式が高齢化と少子化の現実の前に綻びと不整合をみせはじめてきている。

現実には改革のかけ声は喧しいが、高齢社会に対応した社会システムへと大胆に改革を進めるという基本的な視点がなおざりにされているように思われる。

本来、高齢化社会対応のために従来の財政構造を変革することが目的であるのに、社会保障そのものを縮小することを狙いとする社会保障構造改革にすり替えられようとしている。このことによりまた問題が先送りされ、また先送りすればするほど問題の解決が困難になるという悪循環に陥りつつあるようにも思える。

それでは、「未踏高齢社会」にそなえた社会構造改革はどのようなものでなければならないのだろうか。

第一、これからの高齢社会は依存状態にある人々をかつてないほどかかえる社会であるということをあらためて認識し、この点を社会構造改革の核心におくべきである。

すでに、有吉佐和子が今から四半世紀前に「恍惚の人」で活写したとおり高齢化の果てにあらわれる介護の問題は依存状態の極限的な形態である。ここで描かれたように、既存の医療サービスや福祉サービスはこのような状況にまったく無力であった。

これが、あらゆる人々の共通のリスクになりつつある。人生八〇年時代のライフコースでは、多くの高齢者が長期にわたる依存状態を経験することになる。厚生省の調査によれば高齢死亡者の寝たきり期間は平均八ヶ月、一割以上が三年以上の寝たきりを経験する。

とすれば、人生の終末期に長期的な依存状態を前提とした生活設計が必要となってきているのであり、そのような依存状態への対応を「自助」と「家族」に求めるのは社会の不公正感を拡大することになる。

老親の介護を回避したできた人と介護に直面せざるをえない人との間には越えがたい溝が生じるといえるのである。

したがって、あるゆる人々が依存状態の人々を共に担いあえる社会システムがないとしたらその社会は不公正な社会となり、社会そのものの存立を脅かすような問題になるであろう。

第二、重要なのはこのような依存状態への対応はカネではなく人々が提供する具体的なサービスが組織化されていなければならないという点である。

介護サービスをはじめとするさまざまなサービスの絶対的不足と低い品質は、この部門に長年にわたって社会的な投資をサボってきたつけなのである。またこれらの領域におけるソーシャルワーカーやケアワーカー、人間関係の専門職等の専門的人材の育成は医療と対比すると立ち後れている。

今後依存人口を支えるヒューマンサービスの部門への投資により多く割かれなければならない。それは、公費や保険などの公的な手段とともに市場機構を活用した手法も積極的に導入されなければならない。

企業によるこの領域のサービス産業はニーズ拡大の割には徹底的に立ち後れている。

また公的サービスは高成長期に福祉サービス部門の拡大を回避したために、先進諸国のなかでは福祉にもっともカネを使わない国となってきている。

ボランティアや非営利の民間サービスがこれらの立ち後れに対して参加型の福祉サービスとして拡大をしてきたが、社会的な評価と支援はNPO法案の未成立が象徴するように不十分という他はない。

第三、高齢社会を支えるヒューマンサービスは人々が生活しているコミュニティを基盤に住民の参加の理念によって組織化されなければならない。

情報化やボーダレス化が進行すればするほど、逆説的に人々の生活拠点として人々に安定を与えるものとしての、日々生活する日常生活圏としてのコミュニティへの市民の関わりの拡大していく。

そして、その意味で自治体改革があらためて浮上する。従来の公共事業型自治体から福祉自治体への再編であり、介護サービスの再組織化を軸として、新しい自治体の再編が必要となる。その際重要なのは、過疎地における自治体の統合再編と同時にコミュニティ政策が可能となるような大都市地域の分割による再編でなければならない。

今後の高齢化の焦点は過疎型高齢化対策と同時に大都市高齢化対策であるからである。

8月16日記

すでに新聞でも報道されたとおり、元特殊法人社会保障研究所研究部長、日本社会事業大学名誉教授三浦文夫先生が8月3日に逝去されました。86歳でした。私の恩師は学部時代の清水幾太郎先生、研究者となってからの三浦文夫先生でした。

謹んでご冥福をお祈りします。

以下に、三浦先生を偲んで先生に導かれた私の研究の半生記を記した文章からの抜粋を掲載します。

「三浦文夫先生に教えられたこと」 

立教大学コミュニティ福祉学部紀要第一号 1999年3月刊)から改題して抜粋

私の研究歴のなかでは、コミュニティを指向した福祉システムの研究は自明の前提でありつづけていた。大学院時代に青井和夫教授の指導をうけて生活構造論(注1)と出会ったことから、特殊法人社会保障研究所での三浦文夫第三研究部長(当時)にみちびかれながらの本格的な福祉研究へ踏み込んで以来、コミュニティとのかかわりで福祉のありかたを考えてきたというのが筆者の歩みであった。

以下に、やや私記風ではあるけれども1970年代から80年代にかけて自己形成をした一研究者がいかにしてコミュニティと福祉という概念に出会うことになるかについて書き付けておく。

Ⅰ 在宅福祉サービスの登場

社会保障研究所は特殊法人として、佐藤内閣時代の経済成長のひずみの是正ということをうけて「経済開発」に対置する「社会開発」という政策概念の登場を奇貨としてもうけられた厚生省の管轄に属する研究機関であった。当時、福武直東大教授が社会学の立場から役員として関係されており、三浦文夫研究第三部長を中心に社会保障および社会福祉についての社会学的な研究が行われていた。私がこの研究所に就職したのが、東大闘争の余塵もさめやらぬ1971年であった。

1 高齢者実態調査から

その時代はまさに、人口高齢化の幕開けの時代であった。私は入所してすぐ東京都が実施する老人福祉基礎調査に三浦部長の指示によって参加した。この老人福祉基礎調査は東京都における包括的な老人実態調査のはしりであり、生活構造という概念を下敷きに高齢者の包括的な生活実態の把握をおこなったものであった。(注2)

ちょうどこれに先だって、全国社会福祉協議会が民生委員モニター活動を通じて「寝たきり老人」が発見され、そろそろ要介護高齢者問題が俎上にのりはじめる時代であった。

筆者はこの調査でいくつかの調査項目の分析を担当するととともにひとり暮らし高齢者の実態把握の分析を担当した。このことが後に、神奈川県での民生行政基礎調査でひとりぐらし高齢者調査を実施することとなり、この調査を機縁に、当時指定都市に昇格したばかりの川崎市の社会福祉審議会の審議に参画することとなり,そこで生まれてはじめて審議会の答申なるものの原案の起草作業を当時の籠山京上智大学教授の指導によりながら手がけることとなった。(注3) その時の籠山教授の指導のなかで答申とは簡潔明快をもって旨とするということを繰り返し述べられたことがいまでも強く印象に残っている

この答申の骨子は第一に地域におけるひとり暮らし老人の生活形態の多様性をふまえ、画一的平均化したサービスにとどまることなく地域特性に即したサービス方法の開発の必要性を述べ、サービスの提供にあたって得られる経験をフィードバックして、サービスのありかたを改善していけるようなソフトな政策体系の構築、地域での実験的な取り組みの必要性などを強調し、そのうえで特にニーズとサービスを結びつける「レフェラルサービス」の機能を組織化することを重要視し、生活の場でニードを発見しサービスと結びつけるために、第一に老人のニードを生活の場で発見できるような、公私のネットワークづくり、第二に、既存の福祉サービス組織におけるレフェラルサービス機能の充実、第三にサービスへのアクセシビリティを高めるために、行政広報の活用、サービス利用を容易にするための諸手続の改善を求め、第四に、緊急の福祉ニードに対応するための「救急福祉サービス」機能の充実を提言した。そして今後の対策の基調を「地域ケア」の推進を強調し、老人が孤立化することなく、地域の中で生活が享受できるような条件整備のため、公私協働が可能となる拠点設定、第二に地域ケアの前提として地域住民の活動を可能とする受け皿としての各種サービスの調整機能の確立、第三に地域住民をはじめとする民間と行政の協力に基づく、地域ケアの組織化を求めた。(注4)

この答申は後に、三浦文夫先生からソーシャルアドミニストレーション的視点からの老人施策への提言として望外の評価をいただくこととなった。

これらの高齢者の実態調査と審議会での答申作成の過程で、当時の施設処遇を前提とした老人福祉対策の限界を悟ることとなった。ひとり暮らし高齢者は低所得高齢者である限りは老人家庭奉仕員派遣事業等の恩恵に浴することができたが、その対象とならない高齢者は地域社会からひっそりと孤立して生活することを余儀なくされる生活を続けざるを得ず、低所得による生活困窮ばかりではなく様々な社会関係性の希薄化による孤立孤独の問題こそ高齢者問題の核心であるということを学んだ。

このような調査研究のなかで次第に調査をふまえた政策研究のありかたについて三浦部長の特訓をうけつつおぼろげながらその道筋を理解するようなってきた。

2 「在宅福祉サービスの戦略」の研究を巡る社会福祉の課題

当時、社会保障研究所は全国社会福祉協議会の所有する社会事業会館に居をかまえていた。全国社会福祉協議会は文字通り民間社会福祉事業団体の総本山として施設や民生児童委員をはじめとする社会福祉事業団体の利害を代表するとともに、戦後改革の一環として全国市町村に設けられた社会福祉協議会の全国団体の中心でもあった。その意味で施設福祉と地域福祉の双方から社会福祉のありかたをリードする存在であった。

三浦部長は後に全社協の事務局長を務められた永田幹夫氏とくんで社会福祉協議会活動の方向転換を意図したさまざまな調査研究に関わってこられた。全社協は文字通り福祉の業界団体の束ねの役割がもっとも大きな役割と考えられるが、それとともに全国津図浦々に組織された社協は地域組織化活動を通じて、社会福祉ニーズに直面して住民の立場からの社会福祉活動に取り組まなければならない。

そのような社協活動の転換を意図しつつより長期的な一環としておこなわれた研究が昭和52年に発足し、54年に報告書が公表された「在宅福祉サービスの戦略」(注5)であった。

この在宅福祉サービス研究会は当時、イギリスのシーボーム報告の影響を受けつつ論議されたコミュニティケアの概念を我が国に定着させようとすることをねらいとしていた。我が国でも高度経済成長の結果、社会福祉サービスへのニーズが広く拡大する兆しが諸所にみられた。しかしながら、社会福祉は要援護層への対策として、低所得者対策の域をでていなかった。多くの社会福祉サービスには所得要件を付され、文字通り選別的なサービス性格が維持され続けていた。そのために多くのニーズが排除され、またそのことが社会福祉の内実を狭隘なものにしていた。これをイギリスのシーボーム報告で提起されたようなパーソナルソーシャルサービスとして転換を図ることが、拡大する社会福祉ニーズへの対応をはかるために必要と考えられた。

このような問題意識は昭和46年に出された中央社会福祉審議会の「コミュニティ形成と社会福祉」の答申とこれに先立つ東京都社会福祉審議会の答申の問題意識であった。この審議会の中心メンバーは三浦文夫氏と松原治郎氏(当時東大教育学部助教授)であった。

そして徐々に「地域福祉」という概念が政策概念として政府の文書にも登場するようになってきた。たとえば昭和50年の社会保障長期計画懇談会の報告書では「社会福祉需要の在代と多様化、高度化に対応するためには今後在宅福祉サービス等の充実等、地域福祉を中心とする観点から見直しをはかり、福祉施策全体のバランスと体系化を図っていく必要がある。」と述べられた。

当時の社会福祉の状況でいえば、施設福祉に収斂し、低所得対策の域をでていなかった社会福祉を拡大することは、社会福祉の戦線の拡大を意味する。しかしながらそのことは社会福祉の制度の改革と同時に社会福祉のサービス提供の基盤の拡大を必要とする。これは措置の受け皿としての社会福祉施設経営者を中心とする社会福祉事業者の利害を相対化することが求められる。これを当時団体の連絡調整と地域組織化活動を目的として活動してきた社会福祉協議会にサービス提供機能を加え、市町村の福祉サービス提供機能を拡大し、施設中心の福祉から市町村を基盤とした福祉サービス提供組織の再構築が課題となることを意味する。

おりから従来の社会福祉概念の狭隘さを批判して、市民福祉という概念が松下圭一氏をはじめとする自治体研究者や当時拡大してきた革新自治体の首長からも提起されるようになってきた。

また、福祉見直し論と知られる神奈川県の長洲一二知事(当時)の昭和50年の発言は大きな反響を呼んだ。「福祉とは何でしょうか・・・行政の福祉と、地域住民の福祉がともに責任を負う必要がある。・・行政の福祉には責任と同時に限界がある。・・行政の福祉に魂をいれていくのはやはり地域住民のコミュニティの福祉です。」(注6)というように新しい視野で従来の社会福祉の限界を見据えた発言がおこなわれた。

3 「在宅福祉サービスの戦略」の意義

在宅福祉サービス研究会は厚生省や全社協のメンバーとともに、仲村優一日本社会事業大学教授を座長として、多数の研究者及び実務家が加わった。この研究会で和田敏明全社協地域福祉部長(当時)や故杉森創吉日社大教授と知遇を得たことも忘れ難い。

この研究会をリードし、様々な概念を提起したのは、やはり三浦文夫氏であった。この研究会で、社会福祉政策論の鍵概念となるいくつかの概念が提起された。

この研究会のポイントを指摘すれば次のようになる。(注7)

第一に社会福祉の処遇理念としての「居宅処遇原則」の確立にかかるものとして、プライバシーや自由の確保を旨とし、施設の隔離性と閉鎖性のを克服しさた在宅による福祉サービスの展開を構想したことである。

第二に、社会変動に伴う家族機能の動揺のなかで家族扶養が期待できないために社会福祉サービスを必要とするケースが増大し、これらの場合直ちに施設処遇を提供するのは非現実的である。したがって、ニードを家族をはじめとするニード充足が何らかの事情で不可能、不十分な場合に社会的にニーズ充足が必要とされる場合。及び、本来的に家族などの私的な方法ではニーズ充足が困難で当初から社会的ニーズ充足が求められるニーズを識別した。当初三浦氏は即自的ニーズ、対自的ニーズという概念を提起されたが、理解が得られずこの概念は使われなくなってしまった。

第三に、もう一つの重要なニーズ概念が非貨幣的ニーズ、貨幣的ニーズという概念がある。これは社会福祉を公的扶助制度と分離させるための構成的概念として提起された。経済市場でのニーズ充足は現金給付施策で対応できる。この種のニーズは金銭給付で対応できる貨幣的ニーズと呼ばれ、人的役務サービス、今日でいうヒューマンサービスとして対応すべき非貨幣的ニーズとよばれ、所得保障とサービス保障の明示的な分離を誘導するための概念として設定された。

このようのニーズ概念の彫琢を媒介として、社会福祉ニーズの多様化と高度化とういうトレンドの分析が行われることとなる。

このニーズ概念は社会福祉政策分析のための概念であり、従来行われていた実体的なニーズ概念を克服し、適切な政策を導き出すための操作的な概念として利用されるべきものとして提起されたものである。そしてこのような社会福祉ニーズの高度化と多様化に対応するサービスシステムの再構築の方向性のなかから社会福祉の供給システムの多元化を前提とした社会福祉組織論が生まれることになる。

しかしこのような論議は公的責任を実体的にとらえてきた、既存の社会福祉研究者にはこの点の理解がなかなか得られず様々な批判にさらされることになった。

在宅福祉サービスは社会福祉ニーズに対し、ニーズを有する人々の生活の場で、人的サービス、現物や情報の提供などの「リアルサービス」によって充足をはかるという性格を有する。このような在宅福祉サービスの性格からみるとサービス提供を組織化にあたってはサービス提供組織を人々の生活の場としての地域社会において組織化されていなかればならないことを意味する。家族機能を代替補完する日常生活援助サービスと家族では提供困難な専門的サービスから在宅福祉サービスが構成されるからサービスは日常生活圏のレベルから専門サービスの利用範域まで重層的に地域社会に内部化されて組織化されていなければならない。

このことはニードの発見から判定、提供が地域社会を基盤に展開していなければならないことを意味するし、このためには行政諸機関、諸施設、民生委員、ボランティアをはじめとする地域住民が地域社会を基礎として公私の協働態勢が整っていなければならない。

また多様なニーズへの対応ということは専門サービスと非専門サービスを結びつけ、また他分野のサービスとの連携とネットワークも必要とされる。

そしてこのような社会福祉供給システムの分析軸をして、サービスの直接提供のレベル、サービスの直接提供組織が必要とするマンパワー、情報、機器、施設等資源調達のレベルされに資源調達とサービス提供のための費用調達のレベルを識別することが必要とされる。このようなサービスの供給システムの概念構成がサービスの多元化論のための分析概念として提起されることとなる。

この研究会はその後の社会福祉改革論を導くいくつかの概念を生み出すことになった。その前提となったのが社会福祉の転換についての論議である。

 

Ⅱ 社会福祉の転換論の展開

以上のような研究経験のなかで社会福祉理論枠組みの検討の培養基となったのは社会保障研究所での同僚諸氏との交流であった。とりわけ、大学院での同期であった小林良二氏が研究所の同僚として机をならべることができたのは幸せなことであった。氏はもともとマックスウェーバーの学説研究を専攻する社会理論指向の社会学者であった。大学紛争の時代をかいくぐりながら研究を実証研究にシフトし、社会保障研究所に入所することとなった。氏は後にイギリスに留学し、帰国後ほどなく都立大学に転任したために同僚として仕事をした期間は決して長くはなかったけれども、氏とそして上司である三浦部長そして保坂哲哉研究第一部長などと交わした俗称ペダン亭となづけたティータイムでの多種多様な論議はさまざまなアイディアの発酵の媒体となった。とりわけ小林氏の歴史と理論に通じた論議から得るものはかけがえのないものであったし、三浦部長の審議会からの生々しい報告、厚生省での勤務経験をつうじた政策調査のあり方につうじた保坂部長の経験談などは理論と政策と調査の交錯をつうじて新しい社会福祉理論の方角を見定めるのに重要な示唆を与えてくれたものであった。

(後略)

 

 

注1 青井和夫、副田義也、松原治郎編 『生活構造の理論』 昭和46年 有斐閣

注2 拙稿 「老人の生活構造」『季刊社会保障研究』昭和47年10月号 東大出版会

注3 川崎市社会福祉審議会 川崎市におけるひとり暮らし老人対策等の具体的方法について 昭和50年7月

注4 拙稿 「新しい段階を迎えた地域福祉」 『月刊福祉』 昭和51年7月号 全国社会福祉協議会

注5 昭和54年刊行 全国社会福祉協議会出版部

注6 週刊東洋経済50年8月号

注7 拙稿 「在宅福祉サービスの供給体制の課題」 『月刊福祉』 昭和53年3月号 全国社会福祉協議会